東京高等裁判所 昭和49年(ネ)216号 判決 1976年7月06日
控訴人 渋谷梅子
右訴訟代理人弁護士 田辺恒貞
同 阿部隆彦
同 栗田哲男
被控訴人 有間武勝
右訴訟代理人弁護士 水谷昭
同 金子健一郎
同 荒井洋一
同 関根靖弘
主文
原判決を取消す。
被控訴人は控訴人から金三、五六〇万円の支払を受けるのと引換えに、控訴人に対し別紙物件目録記載の建物(専有部分と表示の建物)を明渡せ。
控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じ三分し、その一を控訴人、その余を被控訴人の負担とする。
事実
一、控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人から金一、七六〇万円の支払を受けるのと引換えに、別紙物件目録記載の建物(専有部分と表示の建物)を明渡せ。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
二、当事者双方の事実上・法律上の主張及び証拠の提出・援用・認否は、次のとおり付加・補充するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する(ただし、原判決二枚目表九行目に「と、」とあるのを「を、」と訂正する。)。
(主張)
(一) 控訴代理人
(1) 仮に本件賃貸借に借家法一条の二の適用があるとしても、本件賃貸借が営業用建物を目的とする対等の当事者間における純粋に商取引上の契約であることにかんがみ、同条にいわゆる正当事由の存否の判断に当たっては、「当事者双方のどちらがその建物を必要とするか」という生存権的な観点からの比較衡量によるのではなく、市民法原理に基づいて、賃貸人が明渡を求めるに至った事情如何を中心とし、加えて賃貸人が明渡により賃借人の蒙る財産的損失をどの程度填補し、又は填補せんとしているかによって判断すべきである。本件において控訴人には別紙物件目録記載の専有部分と表示の建物(以下本件建物という。)の明渡を求める必要性があり、かつ控訴人は被控訴人に対しその営業継続のために何ら支障のない代替物件を提示し、また被控訴人の損失を補償すべきものとして十分な額の立退料の支払を申し出ている。一方、被控訴人は右のような控訴人の誠意を尽くした申出に対し真しに対応することなく、ただ現状に固執するのみであって、本件のような営業用建物の賃貸借において当事者に要求される誠実さに欠けている。
よって控訴人の本件更新拒絶には正当の事由があるというべきである。
(2) 控訴人は正当事由を補強するため、場合によっては被控訴人に対し、保証金一、〇六〇万円の返還のほか、立退料として金二、五〇〇万円を支払う用意がある。
(二) 被控訴代理人
控訴代理人の右(1)の主張は争う。
(証拠関係)≪省略≫
理由
一、控訴人の亡夫渋谷信勝が別紙物件目録記載の一棟の建物(地下一階地上四階、以下本件ビルという。)のうち本件建物を、昭和四三年二月九日、被控訴人に対し、昭和四八年二月八日までの期間五か年の約定で賃貸したこと、右信勝が昭和四六年九月一日に死亡し、相続により控訴人が右賃貸借関係を承継したことはいずれも当事者間に争いがない。
二、本件賃貸借において、期間満了の場合引続き借室契約を継続しようとするときは、期間満了の二か月前に貸室人の承諾を求めなければならないとの約定(契約証書第二条)があったことは当事者間に争いがなく、控訴人は、本件賃貸借が営業に利用するための貸ビルの賃貸借であって経済的に優劣のない対等の当事者間における純粋に商取引上のものであるから、借家法六条の規定を制限的に考え、当事者間の合意を尊重して右約定を有効と解すべきであり、約定の承諾が得られなかったので期間の満了をもって本件賃貸借は終了したと主張する。しかしながら、借家法はその適用対象を「建物の賃貸借」と規定するだけであって、賃貸借の目的物が住宅か貸ビル等の営業用建物かによって適用の有無を区別しておらず、営業用建物の賃貸借であるとの一事をもって同法の法定更新に関する規定の適用を排除し、右のような約定を有効と解することは同法の文理上困難であるというべきであり、また営業用建物の賃貸借についても借家法の法定更新に関する規定の適用を認めた上で、同法一条の二の正当事由の判断に当たり当該賃貸借の実態を考慮して当事者の利害の調節を図ることは十分可能であり、かつこれにより初めて妥当な結果を得ることができるものと考えられるから、実質的見地からも右のような約定を有効とすることは相当でないと解される。したがって、前記約定は借家法六条の規定により無効と解すべきものであり、控訴人の前記主張は採用できない。
三、次に、控訴人が被控訴人に対し、本件賃貸借の期間満了の六か月前たる昭和四七年八月二日到達の書面をもって更新拒絶の通知をしたことは当事者間に争いがない。そこで、以下右更新拒絶の正当事由について検討する。
(一) 控訴人側の事情
≪証拠省略≫によれば、以下の事実を認定することができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(1) 控訴人の亡夫信勝は戦前から銀座において「梅林」の名で飲食店を経営し、昭和二七年頃からは信勝が有限会社梅林の会長、その長男信也が代表取締役となり、昭和四二年一二月頃までは信勝が実質上経営を主宰し、その後は信也が名実共に右会社の経営に当たっていた。
本件ビルは、昭和四二年一〇月信勝がそれまでの木造二階建の建物を取り毀して建築した地下一階地上四階建のビルであり、その地上部分は建築後直ちに「梅林」の店舗(「四丁目店」)に利用され、地下部分(本件建物)は昭和四三年二月九日から被控訴人に賃貸されるに至ったものである。
(2) 本件ビルが建築された当時、「梅林」には右「四丁目店」の他に銀座七丁目所在の「七丁目店」があり、右「七丁目店」は、大正末期に建築された信勝所有名義の木造三階建の建物であったところ、昭和四二年一二月八日その隣りの信也所有名義の二階建貸店舗からの出火により半焼し、その後一応修復されたが、消防署から火災予防上危険であるとの注意を受け、また銀座七丁目の土地柄老朽した木造建物をそのままにしておくことは近辺に似つかわしくないことからその建替えの必要性が感ぜられていた。
(3) 一方、本件ビルの建築には地主の承諾料として金一、〇〇〇万円、建築費として金二、五〇〇万円を要し、これらの資金は有限会社梅林の名で金融機関から融資を受け、内金一、〇〇〇万円は昭和四三年二月被控訴人より支払を受けた本件賃貸借の保証金で決済したが、その余の金二、五〇〇万円の債務については本件ビルに根抵当権を設定していたところ、有限会社梅林は右債務の返済が思うにまかせず、債権者から返済を迫られ、またその金利が経営を圧迫するようになり、「四丁目店」、「七丁目店」とも営業実績が上がらないという事情も加わって本件ビルの建築後経営が苦しくなっていた。そこで関係者の間において右の窮境を打開するために「四丁目店」を「七丁目店」に統合して経営を効率化するほかはないと考えられるに至った。
(4) 右(2)、(3)のような事情から昭和四三年末頃「七丁目店」及び右貸店舗の借地権を効率的に利用して「七丁目店」を高層ビルに建て替える計画が持ち上がり、昭和四四年に入ってから地主と交渉が持たれ、結局借地権の一部を返還してその余の底地を譲り受け、右貸店舗の借家人の立退きを得て昭和四六年五月に着工され、昭和四八年五月「七丁目店」の新ビルが完成した。この新ビルは地下一階地上八階、各階とも約三〇坪で、控訴人、信也及びその兄弟三名の計五名の所有名義となっており、そのうち地上一、二階が「四丁目店」を統合した「梅林」の店舗として利用され、その他は貸店舗となっている。
(5) 右「七丁目店」の新ビルを建築するためには建築費だけで約金一億三、〇〇〇万円、これに前記貸店舗の借家人に対する立退料その他の出費を加えると金三億円近い費用を要することが見込まれたところ、銀行からの借入れ、新ビルの入居者からの保証金に頼ってもなお不足するので、本件ビルを有利に売却して資金を捻出することが必要となった。そこで信勝は、本件ビルを敷地の所有者である株式会社木村屋総本店、青陽不動産株式会社に売却することとし、昭和四五年一二月二六日頃右両社との間に、本件ビルを全部空家として昭和四七年七月末日限り引渡す約で、代金を金一億二、〇〇〇万円と定めて売買契約を締結し、契約の成立と同時に手付金(内金)として金五、〇〇〇万円の支払を受け(これは全額前記借家人に対する立退料に充当された。)、残金は本件ビルの引渡と引換えに支払を受ける旨を約した。信勝は昭和四六年九月一日死亡したので控訴人が相続により本件ビルの所有権を取得し、同時に右売買契約の履行として本件ビルを空家として右買主らに引渡し、所有権の移転を了すべき信勝の義務を承継した。
(6) 右売買契約の実際の衝に当たっていた信也は、本件建物を賃借し営業している被控訴人に対し、右契約後、新築予定の「七丁目店」のビルへ移転して欲しい旨を申し入れていたが、被控訴人は支店を右ビルに出すことには乗り気を見せたものの、本件建物を退去して移転することについてはこれを拒否し、その後昭和四七年夏頃提案された当時新築中の銀座三丁目所在の第三者の貸ビル「チェリービル」への移転も立地条件等を理由にこれを拒否した。控訴人は、同年八月二日到達の書面で更新拒絶の通知をし、同年一二月一九日東京簡易裁判所に建物明渡の調停を申し立て(控訴人が調停を申し立てたことについては当事者間に争いがない。)、その過程で同じく銀座三丁目所在の第三者の貸ビル「サニービル」への移転方を申し入れ、被控訴人が差し入れた保証金一、〇六〇万円の返還のほか立退料として金七〇〇万円の支払を申し出たところ、被控訴人は、条件次第によっては移転してもよいとの意向を示したが、立退料として右「サニービル」入居のための保証金二、三〇〇万円、内装費金一、二〇〇万円、向こう三年間の営業補償月金一〇〇万円宛計三、六〇〇万円、合計金七、一〇〇万円から前記保証金一、〇六〇万円を差し引いた金六、〇四〇万円を控訴人において負担すべきことを求め、結局条件が折り合わず、調停は不調に終わった。
(7) 「七丁目店」の新ビル完成後「四丁目店」は「七丁目店」に統合され、本件ビルの地上部分は空家となり、昭和四八年八月三一日右地上部分と本件建物とに区分登記がなされた。そして控訴人は、同年一二月前記買主らとの間の合意により右地上部分を引渡した上、その所有権移転登記を了し、これと引換えに右地上部分に相当する代金九、八〇〇万円の残金の支払を受けたが、本件建物に相当する代金二、二〇〇万円についてはその引渡完了後支払を受けるものとされ、なお前記買主らに対し右引渡完了までの間一定の割合による違約損害金を負担するものとされ、現在に至っている。
(二) 被控訴人側の事情
被控訴人が昭和四三年二月九日信勝から本件建物を、賃料一か月金一〇万六、〇〇〇円、保証金一、〇六〇万円、使用目的レストランバー営業、賃借期間五か年の約定で借受け、以来ここでレストランバー「スコット」の営業を継続し、生計を立てていることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、以下の事実を認定することができ、この認定を左右する証拠はない。
(1) 被控訴人は右レストランバー「スコット」を開業するに当たり内部造作に約金四〇〇万円、什器・備品類に約金二〇〇万円を支出した。右「スコット」の客席数は約三五、従業員は被控訴人を含めて約八名であり、その経営は、開業後約二年間は赤字が続いたが、徐々に業績が上がり、昭和四八年に入った頃からは黒字になり、同年一〇月当時の一か月の売上げは約金二五〇万円、純利益は約金一三〇万円程度であり、その後も順調に業績を上げている。
(2) 右「スコット」の営業は固定客のサラリーマン、通り客を主要な客種とし、全部現金払いで貸売りはしておらず、店舗の場所が営業の成績を決める一つの重要な要素となっており、本件建物は銀座四丁目二番地にあってこの種営業に有利な場所を占めている。
(3) 被控訴人は以前喫茶店を経営していたことがあるが、現在経営しているのは右「スコット」だけであり、妻及び先妻の子一人と共に肩書住所に居住し、右営業によって一家の生計を立てている。
被控訴人としては右「スコット」の経営が右のように開業後二年間は赤字が続き、年月を経て黒字となり現在盛業を呈していることに照らし、本件建物を退去して他に移転することに不安を抱いており、客観的に見ても移転により相当の期間減収を免れないと予想される。
(三) 以上の事実関係によれば、控訴人が昭和四七年八月二日到達の書面をもって本件賃貸借の更新を拒絶したのは、被相続人たる信勝が昭和四五年一二月二六日頃締結した本件ビルの売買契約の約旨に従い、買主らに本件ビルの全部を空家として引渡す必要があるためである。しかして信勝が右売買契約を締結したのは、これにより「七丁目店」の旧建物の建替えのための資金の一部を捻出する必要があったためであるが、右建替えは前記(一)、(2)及び(3)に認定したような事情から「七丁目店」及び隣りの貸店舗の借地権を効率的に利用すべく行われたものであり、そのこと自体は無理からぬものがあったということができる。もっとも、新築されたビルが従前の規模を大幅に上廻るものであり、現に地上一、二階部分以外は貸店舗とされているが、それは有限会社梅林ないし信勝の資産を効率的に運用して右会社の窮境の打開を図る意図の下になされたことは明らかであって、銀座七丁目の土地柄からすれば右「七丁目店」の新ビルが不相当に大規模であるとは認め難く、日本有数の商業地域である銀座七丁目に資産を有し経済活動を営む信勝において右のような建替えを計画し、その結果前記売買契約を締結するに至ったこと自体には特に非難すべき点はないといってよい。してみれば、控訴人が本件賃貸借の更新を拒絶して本件建物の明渡を求めること自体については相応の必要性があるものと認められる。
他方、被控訴人は、本件建物における営業を唯一の生計の基礎とし、これまで時日をかけ営々として営業の基盤を築き、最近ようやく盛業に達するに至っているのであり、その営業にとって有利な場所を占める本件建物から移転することになれば経済上、生計上相当な不利益を蒙ることが明らかであって、被控訴人の本件建物の使用を継続する必要性も相当高いものといわなければならない。
しかし、被控訴人としても、その営業の種類、形態からいって本件建物においてでなければ営業が成り立たないというほどの事情はなく、控訴人が代替物件として提示した「七丁目店」の新ビルの一室その他二件の物件への移転交渉の経緯に照らしても、移転後ある程度の期間を別とすれば、本件建物に比べその営業にとってさほどそん色のない移転先を求めることも困難ではないと解される。
(四) しかるところ、控訴人が本件訴提起当時は本件建物の無条件の明渡を求めていたが、昭和四八年一一月一二日の原審第四回口頭弁論期日において保証金一、〇六〇万円の返還のほか金七〇〇万円の立退料の支払を申し出て、右合計金一、七六〇万円の支払と引換えに本件建物の明渡を求める旨本訴請求を自制し、その後当審における和解手続において、その最終期日である昭和五〇年一一月四日の時点では右保証金の返還のほか立退料として金二、五〇〇万円程度を支払う用意がある旨を申し出て前記金一、七六〇万円の自制額を固執するものではないことを被控訴人に対して明示しており、さらに昭和五一年五月六日の当審第六回口頭弁論期日においても右同様の申出をなしたことは当裁判所に明らかであり、被控訴人としても右金二、五〇〇万円の立退料を受領すれば、代替店舗賃借のための敷金ないし保証金、運送費等の出費のほか、新規開店のために要する諸設備費用、移転によって当分の間予想される営業上の損失等も相当程度これによってまかなうことができるものと考えられる。
(五) 以上認定の一切の事実を総合すれば、控訴人が昭和四七年八月二日到達の書面をもってなした更新拒絶については、控訴人においてその前後にわたり誠意をもって代替物件を提示したこと等の事情をあわせ考えても、被控訴人の本件建物使用につき有する利益を考慮するときはなお正当事由があったものとは断じ難いというべきであるが、被控訴人の右利益も主として経済的利益にほかならないのであるから、控訴人より前記立退料金二、五〇〇万円の支払を受け、移転に伴う経済的不利益の相当部分が填補されるにおいては、被控訴人としても本件建物の明渡を拒むことは許されず、右立退料の額はさきに認定した控訴人の資金事情や本件ビルの売却価格に照らし控訴人にとってかなり手痛い犠牲を強いられるものというべきであるから、被控訴人が折角築き上げた安定した営業基盤を喪失することによる物心両面の苦痛を償うにはなお足りないものがあるとしても、それは衡平の観念上被控訴人において認容すべきものと解するのが相当である。しかして、本件賃貸借は約定の期間満了の昭和四八年二月八日法定更新され、以後期間の定めのない賃貸借となったものというべきであるが、控訴人はその後前記更新拒絶を予備的請求原因として本訴を提起し、これを維持継続しているのであるから、前記更新拒絶による本件賃貸借の終了が認められないときは当然法定更新後の賃貸借につき正当事由に基づく解約申入を理由として本件建物の明渡を求める趣旨であると解すべく、かつ本訴の維持継続中右解約申入の意思表示を黙示的、継続的になしているものとみるべきところ、控訴人が前記のように当審和解期日において昭和五〇年一一月四日までに金二、五〇〇万円の立退料を支払う用意がある旨を申し出たことによって、右解約申入につき正当事由が具備されたものというべきであり、したがって法定更新後の本件賃貸借は遅くとも昭和五〇年一一月四日の六か月後である昭和五一年五月四日の経過により終了したものといわなければならない。
四、以上によれば、被控訴人は控訴人から右立退料金二、五〇〇万円及び控訴人において本件建物の明渡と引換えに返還すべき義務を負う旨を自認する前記保証金一、〇六〇万円、合計金三、五六〇万円の支払を受けるのと引換えに本件建物を明渡す義務を負うものであり、控訴人の本訴請求は右の限度において理由があるものとして認容すべく、その余は失当として棄却すべきである。
よって、右と異なり控訴人の請求を全部棄却した原判決はこれを取消すこととし、民事訴訟法三八六条、九六条、八九条、九二条を適用して(なお、仮執行の宣言は相当でないと認められるのでこれを付さない。)、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 室伏壮一郎 裁判官 横山長 河本誠之)
<以下省略>